成人式にエジプト考古学者吉村作治先生を招いて講演会が仙台市で行われ、モラル、マナーの悪さから講師は、激怒されたとの記事を読んだ。
講演中大声で話したり、携帯電話で話していたのでは怒るのも当然である。二十歳といえば式典に出席する以上講師や周囲の人に迷惑をかけないとするマナー、モラルが培われていて当然の年頃である。
この現象は、私たちの近在の市町村にもあったことを聞かされた。自由の尊重から規律やマナーの大切さを忘れ去られ、他を思いやる心が失ってしまったのであろうか。
日本人の心は、古来より中国儒教や宗教が民族精神に深く植え付けられ、日本独特の精神文化が発展した。茶道、華道、武道などから、日常生活習慣、躾、作法など。それは、形から入る心の文化でもあった。
形より心が大切であるとする昨今、果たして正しいのか。
福沢諭吉は「おおよそ人心の非を正すは難くして、形を改むるは易し」と言われました。
心を正すのは難しい、形を改めることからだ。と示された。
心の教育は、形の教育であると思う。
大雄寺住職 倉澤良裕 記す