大雄寺の草創は、今から600年前、応永11年(1404)余瀬白旗城内に創建されたが、戦乱の中、大雄寺焼失、その後文安5年(1448)黒羽藩主第 10代大関忠増により再建、その後、大田原藩大田原資清との争いで第13代大関増次敗死、大関家の後継第14代高増(大田原資清の子)により、天正4年 (1576)に本拠黒羽城を余瀬白旗城から現在の地に移築した。
大雄寺もこの時期に移築し、大関高増の先代藩主大関増次(戒名 久遠院殿超山道宗大居士)を中興開基とし、在室玄隣大和尚を中興開山として大関家累代の菩提寺となった。
第13代増次の院号から、黒羽山(くろばねさん)久遠院(くおんいん)大雄寺(だいおうじ)と称することとなる。
現在の大雄寺は、文安5年(1448)の伽藍で保存され、本堂・庫裡・禅堂・廻廊などの伽藍は、昭和44年栃木県文化財指定、平成29年には、国重要文化財に指定され、貴重な文化遺産として保存している。
大雄寺のあるこの黒羽町には、奥の細道で有名な松尾芭蕉が訪れた町のひとつで、奥の細道の旅の期間中で、黒羽には14日間という最長逗留したことで知られています。