車を一時間半ほど走らせて時々坐禅会に参加させていただいています。私にとって大事な心の休息、明日を生きるための精神的エネルギーの充電のひとときとなっています。
今日の社会は、一人の人間が扱うには余りに多くの物や情報、過度の刺激に溢れ、これらに真面目に対応しようとすればするほど心を磨り減らしてとことん疲労してしまいます。
自分だけはこうあろうと意地を通しても、人の世に生きる以上多少不本意なことにも我慢しなくてはなりません。しかし、このような社会に生きているからこそ味わえる喜びや楽しみもあり、こちらだけくださいという訳にもいかないところに生きる意義のようなものがあるように思います。
仏の教えは、私たちが遭遇する困難な状況を克服し、平静な心で日々を過ごすためのヒントや真理に満ちています。
般若心経の中の言葉「心無?礙(しんむけいげ)」「無有恐怖(むうくふ)」が何度も私を救ってくれました。欲しい欲しいという気持ちがいつしか心のこだわりとして執着してしまい、やがて不安や妬みといった邪な気持ちに変化してしまいます。そうはなりたくはないものです。
大雄寺の坐禅堂で同じ志を持つ仲間と一緒に、しがみついているものを全て放し、坐蒲の上で自分そのものになりきる、私にとってとても大切なひと時です。大雄寺の静けさと趣き、それに方丈様の温かいお人柄。坐禅会の帰りに清々しい気持ちで眺める四季の草木や那珂川の流れのなんと美しいことか。このすばらしい機会を持つことをお許しいただける方丈様と坐禅会の皆様に感謝いたします。
合掌