●「老心」感想 T.Y氏
拝啓
春の息吹を感じる今日この頃ですが、朝夕厳しい寒さが続きます。
この度は、PTA活動の足跡「老心」をお送りいただき誠に有り難うございました。教育者の1人として、今日までのご苦労に衷心から感謝申し上げます。公の仕事も残すところ1年となりました。静かな気持ちで庭の木々の成長を観察しての日々を送っております。
小さな庭に、ときおり私自身にはまったく覚えのない若木を見つけることがあります。万両、ピラカンサス、山椒、ツゲ、マユミ、南天などが多いのですが、共通していることは実をつけるということです。ツゲ、マユミ、南天は1本づつ植えたので、元の木の周囲から実がこぼれたとも考えられますが、まるで方向違いの場所に芽生えるのを見つけるのですから、大きな得をしたような気さえします。万両、ピラカンサス、山椒は植えた覚えがないのに、庭のそこここに可愛い若木となって茎葉を伸ばしているのを見ると、得な気持ちだけではなく微笑ましさも覚えます。
植物の種は、動物の腹の中を通ると発芽しやすくなるようです。今挙げた植物は、小鳥たちがどこかの木の実をついばんで、私の庭にやってきて糞をし、消化しなかった種子が糞に混じっていてそれが発芽したのでしょうが、折角の贈り物ですから、日当たりなどを考えて適切な場所に移し替えました。すでに結実するほどの大きさとなり、次に小鳥たちが別のお宅に贈り物を届けることでしょう。どのお宅でも大切にしてくれるといいなと思ったりしています。
10年以上も前に、名前がわからない若木に気づいたことがありましたが、開花しないので自身が持てませんでした。いずれ咲けばわかるだろうと思い、小鳥が運んできたのも何かの縁だからと大切に育てました。しかし5年経っても10年過ぎても咲いてくれません。樹高は5メートルを越え、初めはかがんで見つけた小さな若木が私の3倍も育ったことになります。
それがようやく昨年の春、花芽を見せてくれました。わずかに4つの蕾でしたが、ある日開花したのを見ると、やはりコブシでした。結果的に12年の歳月を要したことになります。
今年はまさに満開、昨年はようやく大人のコブシになりかかって今年はついに成人になったというところです。大切に育ててよかった、それが小鳥たちへのお返しになると思ったことでした。
今後も地域教育発展のため ご尽力くださいますよう心からお願い申し上げます。
●「老心」感想 I氏
私の家は代々続く古い家なのですが禅宗(曹洞宗)なのです。両親は信仰心厚く仏教に大変な関心を持ち多くの本を読みお寺廻りもしておりました。そんな関係で後継ぎ娘の私も影響を受けていますが仕事を持っていましたので退職してから色々両親のやったことを続けるようになりました。
高校に教諭として約30年近く勤務していた関係上この『老心』を読ませて頂き、同感することが沢山あります。私も色々の生徒をみてきましたが、文章の中の「親の背をみて子は育つ」この言葉は常々私が思っていることです。
よく親の中には学校で躾を厳しくしてくれと言われる方がいますが全くのナンセンス。親を見れば子供はわかり、子供を見れば親が大体想像できます。私は家庭の中の特に生まれてから幼少時期までの両親の躾がその子の人格形成の基になると断言できると思います。生まれて何もわからない子がとにかく親の真似をします。内孫2人の成長を見ていると実によくわかります。いかにこの時代の親がよい見本になるような姿を子に示すべきでしょう。それがとても難しいことです。現代の親の中には親になることは簡単に出来ても親であるというあるという自覚のない人がいるようです。親であることは責任を伴うことになるので真剣に考えたら親になるのをためらってしまうでしょう。
現在の子は挨拶をしないを言いますが親から見本をみせられなかったので子供を責めても効果ないと思うのです。毎朝私の家の前は登校班の集合場所なので嫁や私達がくり返し声をかけています。大人から声をかけるようにすると段々声が出るようになってきました。もう30年前のことですが 長男の友達が遊びに来てその中の皆のズックを揃えて上がってきたこと、家庭の躾だと直感し今でも思い出します。ご近所の商店の後継者ですが頭も切れよくやっています。思いやりの心なのでしょう。
思いやりの気持ちは相手の立場になってものを考える。この気持ちをもっと いじめ などの現象はなくなると思います。私なども60歳を過ぎておりますがこのごろようやく相手の立場になってものを考えることが出来るようになったかな?などと思っています。特に私など家庭にあってこれから孫達に自然に自分の姿を伝えたいと思っています。毎朝仏様にお水、お花、お線香をさしあげるというようなこと。自然に小さな孫達も真似をしております。それで良いのだと思うのです。
冊子を読ませていただき私の感じたことを書いてみました。