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一口法話


手を合わす

投稿日:2007年09月20日

手を合わすことは、インドにおける挨拶として「ナマスティー」と言って互いに相手を敬う礼儀とされています。
日本人の心にも通ずるものでありますから、手を合わせてお願いをしたり、手を合わせてあいさつしたり、手を合わせて食事をいただいたりしています。
手を合わすことは、心のあたたかさややさしさを感じさせ気持ちが落ち着き静かになります。
私たちは、毎日の生活を送っていく上で、手を合わせなければならないことがたくさんあります。
次の四つの恩に手を合わせることが肝要です。

  1. 父母の恩(先祖への恩)
  2. 衆生の恩(多くの人への恩)
  3. 国土の恩(多くの物や他のものの生命への恩)
  4. 仏の恩(生かされているという素直な心)
父母の恩(先祖への恩)
「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し」と昔から言われ、親に孝養を尽すことは、あたりまえのことであります。
だから、戦前は親孝行ということでは日本は代表的な国でした。
それが今は、最下位の国となってしまい、手を合わす心を忘れていないだろうか。
私たちの生命は、父母の生命を受け継ぎ、父母は、それぞれの父母の生命を受け継いでいます。
遡ってはるか昔のご先祖の生命を受け継いで、父母を代表して、ご先祖を代表して今生きているのです。
これらご先祖のうち一人でもいなければ私という存在は、この世に存在しないということになります。
父母や祖父母、ご先祖に手を合わし感謝することはあたりまえのことであります。
衆生の恩(多くの人への恩)
人間は互いに支え合いながらその間で、その中で生きているという字で示されるように、人は一人では生きて行けません。
生かされていることに感謝し手を合わすのです。
手を合わせ人に接するとき決して争いは起こりません。
手を合わす心を失ったとき、心は殺伐として人間同士の争いとなります。
国土の恩(多くの物や他のものの生命への恩)
「生命をいただきます」と言って食事をしています。
私たち人間は、動植物の尊い生命を犠牲にして、その犠牲の上に成り立っています。
動植物の尊い生命を無駄にすることなく、感謝していただき、食べることで得られたエネルギーを人のため、社会のために活用するよう努力をしています。
仏の恩(生かされているという素直な心)
私たち人間は、今、あなた こなたのご恩にて生かされているということを素直に受け入れる心、清浄で美しい心が仏の恩であります。
手を合わす報恩感謝の心で、今、ここを生きることなのであります。

右手は仏さま、左手は私たち、手を合わすことは仏さまと私たちとが一つになる、心と心のかよう印であります。

 

大雄寺住職 倉澤良裕 記す


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